大和葛城山のツツジはまだ五分咲きでした。 byやじろう

5月13日の日曜日、大和葛城山に行ってきました。この時期の葛城山はなんといってもツツジが有名。ロープウエイもあって気軽にアプローチできるため、登山者だけでなく観光客も大勢押しかけますが、今年はまだ五分咲きでした。

ロープウエイ駅の脇から歩き始めます。登りはほとんど人工林の中で階段が多い。


間もなく前方に現れる櫛羅(くじら)の滝。


満開のツツジ…に感激…ですが、満開だったのはたぶん、これ一本だけでした。(^o^)


ツツジは全体として5分咲きも行かない程度。それに遅霜でも受けたのか、色もややくすんでどこか冴えません。これから咲くつぼみも黒ずんでいてちょっと心配です。が、まあ、これはこれで、そこそこの風景です。


あとは、新緑がしたたるような山道を気持ちよく下ります。好天にも恵まれ快適な山行でした。満開は来週頃かなあ…

蓮華温泉スキーツアー 3日目 by きたちゃん

 3日目、      
 3日目は山をひたすら滑り降り、下界へ向かいます。
 大糸線平岩駅から蓮華温泉まで県道505号が通じていますが、
 冬は木地屋の里までしか除雪されていません。
 なので、蓮華温泉から木地屋までの道のりをスキーで滑降します。

 空は快晴。
 雪は新雪カフカ
 ご機嫌で滑り出します。

 
 蓮華温泉からの道
 矢印は蓮華温泉ロッジ

 

 県道はしっかり雪の下にあり、道沿いに行く必要も無いので、
 迂回などせず、真っ直ぐにすべります。
 小屋からしばらく行った所で、深い谷を滑り降りて、
 県道まで登りなおす場所があります。
 ええ、しっかり転がり落ちましたよ。

 
 振り返ると、そう急坂でもなさそうなんだけど


 まぁ、転げ落ちなければいけない急坂は最初だけで、
 途中からは快適な滑りが続きます。
 (それでも時々転んでたけど)

 


 途中でボチボチ休みながら、のんびり滑ります。
 上級者のグループが先を行ってくれたお陰で、
 ルートを見逃すことなく安全に滑り降りる事ができました。

 
 ゴールの木地屋 

 木地屋からは電話でタクシーを呼んで、駅まで送ってもらいます。
 楽しかったスキー山行も終わり。
 お疲れさま〜。

 

蓮華温泉スキーツアー 2日目 by きたちゃん

 2日目、
 今日の予定は雪倉岳に登る予定でした…
 が、朝からの吹雪。
 昨日の湿雪に痛めつけられ、筋肉はヘロヘロ。
 あっさりと沈殿を決める。

 朝食の後、ウツラウツラ寝ていたら、
 昼から雪が上がり、間もなく快晴に!

 折角だからと、兵馬ノ平まで散歩に出かけました。
 雪倉や朝日岳にアタックするルート上にあります。

 今日は新雪カフカで気持ち良い。
 蓮華温泉からしばらく歩くと、兵馬ノ平に下る斜面にあたります。
 昨日のリベンジ!と思って頑張ってテレマークターンで降りるんだけど、
 やっぱり転びまくり
 雪質だけのせいでは無かったみたい。

 兵馬ノ平は広い平原で、雪倉や朝日岳を望め、
 気持ちの良い散歩コースです。

 

 

 コーヒーを沸かしてのんびりしてからロッジに戻りました。

 蓮華温泉ロッジに帰ってから、まだ日が高かったので、
 露天風呂を見に行くことにしました。
 蓮華温泉の露天風呂はそれぞれ源泉の違う4つの風呂があります。
 仙気の湯、黄金湯、薬師湯、三国一の湯のうち、
 冬季も入れるのは、一番上部にある薬師湯だけです。

 

 前日から午前中まで続いた降雪のせいか、
 湯温はやや低めでした。

 しばらく湯煙越しに雪景色を楽しんでから、ロッジに戻って、
 明日のツアーに向けてゆっくり休みました。

3日目はこちら

蓮華温泉スキーツアー 1日目 by きたちゃん

 
 3月、蓮華温泉キーツアーに行ってきました。
 蓮華温泉は白馬三山の入り口に位置し、
 ほんの5ヶ月前にも行ったばかりです。

 1日目、
 夏は平岩からバスで蓮華温泉まで行けますが、
 冬、この道は除雪されていません。
 なのでスキーを履いた人しか行けない温泉です。
 (もう少し雪が締まる時期になれば、
  スノーシューとかでも行けるのかな?)

 今回使ったルートですが、まず白馬大池からバスで栂池高原へ。
 ゴンドラ〜ロープウェイと乗り継いで
 栂池平(標高1850m)まで上がります。
      
 ここからバックカントリースキーツアーが始まります。
 生憎の天気の中、そこそこの人数のツアー客がいらしています。

 初日は天気が悪いので写真は撮らず、ひたすら登ります。
 テレマークスキーにシールを貼って登りますが、
 まだまだシール登行の経験が浅い私は、急な角度では登れません。
 ので、左右にスキーを回しながらトラバースして登ります。

 樹林帯の中をジグザグに登って行くと、天狗原に到着。
 ここで大休憩を取ります。

 天狗原は分岐点になっており、
 乗鞍岳に登って栂池高原まで滑り降りる、日帰りの方、
 上ノ神尾根を行って、白馬乗鞍スキー場へ降りる方、
 そして私達、蓮華温泉に向かう方がいます。

 蓮華温泉までは千国揚尾根をしばらく進み、
 途中から振子沢を滑り降ります。
 この日は物凄い湿雪でテレマークには非常に辛い雪質。

 何度転んだから分からない位、雪まみれになりながら
 転がり滑り降ります。

 滑りきった所で橋を渡ったら、今日の目的地、蓮華温泉に到着。

 

 疲れた〜!

2日目はこちら

3日目はこちら

僕らも現場にいた・連休の白馬岳遭難について考える  by やじろう

 【5月11日追記】 5月8日に書いた以下のブログについて、一部訂正します。白馬岳で遭難した北九州の医師ら6人パーティについて、本日付の朝日は現場から回収した4つのリュックから、ダウンジャケット類や下着、ツエルト2張りが回収されたと伝えています。うちツエルトひと張りは使おうとした形跡もあったそうです。従って、以下のブログに書いた「悪天から身を守るツエルト(簡易テント)も持参していなかったという」さらに「6人パーティにツエルトひと張りもないというのはやはり論外だし」の部分はいずれも誤りで、訂正ないし削除しなければなりません。

 そこで追記として2点。まず、せっかく持っていた装備を使う余裕もないほど天候の悪化が急激であったか、そうした最低限の身を守る対応にも難渋するほど疲労困憊してパーティの力が落ちていたか、ないしはその両方が相まってこの事態に立ち至ったことが想定されます。そうなると、ますます気になるのがこのような状況に至るまでのリーダーの判断で、ここから先は結果から推定した懸念と断っておきますが、そもそもこのパーティにはリーダーと呼べる人がいたのかどうか。

 リーダーも曖昧な仲良しグループや寄せ集めグループの登山は珍しくありませんが、その大半が無事に済んでいるのは、実は運が良かったおかげという面もあります。もし、今回のような天候急変など深刻なトラブルに遭遇すれば、強力なリーダーシップを持たないグループはたちまち烏合の衆と化し、撤退などの意志決定ができないまま漫然と機会と時間を喪失、挽回不能な窮地に陥ってしまうケースがままあります。今回の遭難パーティがそうだったと決めつけるわけではありませんが・・・

 次いでもう一点、この国のマスコミはこれほどまでにデタラメだということです。当初の報道でツエルトを持参していないなどを挙げて装備不足を盛んに非難したのは、いったい何を根拠にしていたのか。誰かが憶測で流した情報に、すべてのマスコミが裏付けも取らずに飛びついたのではないか。「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」は巷間に流される噂や伝聞の正体を暴いた名言ですが、これが真実の報道を看板に掲げるメディアの現実の姿なのです。

 今回の遭難報道においてまたも馬脚を現したマスコミのこの無惨なほどの無能さ。原発報道でも見たこの国におけるジャーナリズムの不在は、国民にとり本当に不幸なことだと思います。ともあれ、このいい加減な報道に頼り(実際、アクセスできる情報はそれしかないのですが・・・)、自分もまた間違った内容を書いてしまった点については、前記の通り訂正削除の上、お詫びします。

【以下、元のブログ】
 5月5日深夜をもってついに稼働ゼロとなった日本の原発の今後なども気になるのだけれど、とり急ぎこのゴールデンウイークに多発した山岳遭難の話題。なかでも、白馬岳で北九州市の医師ら6人パーティの全員が死亡した事故は他人事とは思えない。弥次郎たち5人パーティは彼らと全く同一のルートを一日遅れで登る計画だった。

 もともとは連休前日の2日夜に和歌山を発ち、翌3日栂池スキー場のリフトやロープウエイを頼って標高1840mの栂池ヒュッテに宿泊。翌4日夜明けと同時に同ヒュッテを出て、天狗原(2204m)、乗鞍岳(2437m)、白馬大池(2370m)、小蓮華山(2769m)、三国境(2751m)を経由して白馬岳(2933m)に登頂、その直下の白馬山荘に達する予定だった。

 この目論見は出発地が和歌山市だったことと、我々がつぼ足ではなくスキーでの登高だった点を除けば遭難パーティと全く同じだ。登頂の翌日5日がこの山行のクライマックスで、白馬大雪渓から標高差1700mをテレマークで一気呵成に滑降して猿倉(1340m)に下山というプラン。悪天への対応を考慮し連休最終日の6日を予備日に充てていた。

 だが、事務所の引っ越しやらなにやらでリーダーの弥次郎自身がめちゃ忙しくて、栂池ヒュッテに予約の電話を掛けるわずかな時間も取れず、ようやく4月も末になって電話をしたらもう満室で宿泊不能とのつれない返事。予備日が平日の7日になってしまうが、やむを得ず計画を丸一日順延して、まだ空きがあった4日に宿泊の予約を入れたのだった。もし3日に予約が取れていたら、恐らく遭難パーティと同時刻に出発し、前後しながら登っていたはずだ。

 先に書いた栂池から白馬山荘まで夏なら約7時間のルートだが、残雪期はその3割増を見ておきたい。とすると所要約9時間。夜明けの5時にスタートしても白馬山荘着は午後2時になる。よほどの健脚であれば別だが、平均的な登山者の力量でこれより遅い時刻の出発になって少しでもトラブルに見舞われれば、日のあるうちに安全な山荘にたどり着ける保障はない。そして、栂池高原をこの時間に出発するには、そこにあるこの時期唯一の宿、栂池ヒュッテへの前泊が必須であり、同ヒュッテに泊まれなければ我々のように日延べするしかない。

 かくして我がパーティが1日遅れの行程で栂池に入り、スキー場でトレーニングしていた4日午前、ガスが山稜を包み展望は終始きかなかったものの、次第に雲の切れ間から青空が覗く時間帯もあって、その後の回復が期待されたのだが正午頃から再び日は陰り、やがて雨も落ちてきた。そこで我々は早々にチェックインして部屋でくつろいだのだったが、報道された目撃証言によればちょうどその頃、遭難した一行は小蓮華山への登りの途上にあって、リュックを他のメンバーに担いでもらっている人もいたという。

 5時の出発から8時間を経由してなお小蓮華山に到達しないのは余りに遅い。天候は悪化の一途だったはずで、すでに落伍者が出て遭難寸前ではなかったか。目撃証言の主がこの困窮パーティにどう接したかは報道になく腑に落ちない所もあるのだが、ただ、小蓮華山からさらに前進して白馬山荘をめざすか、それとも栂池ヒュッテに引き返すかの判断は微妙だ。

 夏道時間で比較すれば白馬山荘まであとわずか2時間だが、まともに風を受けての厳しい雪稜の登りになる。一方、栂池ヒュッテへは4時間と時間は倍かかるが下りで体力的には楽だ。それに1時間半耐えて下れば主稜線から外れて風圧も緩むだろう。ここはやはり引き返すべき所だったのではないか…

 その夜は猛烈な風になった。間欠的にうなりを上げて吹き付ける風の音で眠れないほどだ。遭難パーティは雪洞を掘るスコップも悪天から身を守るツエルト(簡易テント)も持参していなかったという。翌朝8時頃、6人は小蓮華山から白馬方面へさらに進んだ三国境付近で全員、遺体となって発見された。低体温は思考力も奪っていたのか、漫然と無防備に暴風雪の中を進み無抵抗のまま力尽きた姿だった。

 一方、我々は予定通り4時に起床して出発準備を始めたが強風が弱まるのを待つこととして8時までヒュッテ内で待機、その結果の時間切れで、乗鞍岳までシール登高して来たルートを滑降するのみに止めてこの山行を終わらせた。息を切らせながら雪の斜面をシール登高している間、しばしば上空をかすめたヘリは遺体を運んでいたのかもしれない。 

 さて、メディアは例によって、装備の不十分さ、判断の誤りなどを次々にあげて、この遭難の原因を論じている。だが、装備について言えば、たとえば彼らが夏用の雨合羽を着用していたことをやり玉に挙げて非難しているが、我々だって雨合羽だった。冬山用のヤッケは暖かいが防水機能はない。この時期、怖いのは雪より雨で、下着まで濡れて冷えればたちまち致命的になる。

 両方持参すれば良さそうなものだが、冬用ヤッケはかさばるし重い。荷物が増えればそのぶん確実に行動は遅くなる。速度が死命を制する場合もあるのだ。コトは山の素人の記者が考えるほど単純ではない。雪が降ったときに重ね着する軽いダウンをリュックに忍ばせて雨合羽を着用するなど、安全と軽量化を考えればごく普通の選択ではないか。

 とはいっても、間違いがなければ防げた遭難であったことも事実だ。6人パーティにツエルトひと張りもないというのはやはり論外だし、悪天下で落伍者が出て行動が遅延したときの判断も適切だったとは思えない。だが、山岳遭難が起きるたび、原因をいつもこうしてすべて自己責任に還元してしまうのはいささか問題なのではないか。

 例えば、釣りや海水浴で溺れた事件で同様の自己責任が問われるか。警察などの救助ヘリが出動するたび、税金がいくら係ったなどとイヤミたっぷりに報じられるのは山岳遭難事故だけであって、溺れた人の捜索でヘリが飛ぼうが飛行機が飛ぼうが船が出ようが、それを問題視する報道にはお目にかかったことがない。同じレジャーでの事故、山と海とで一体何ゆえにこれほど扱いが違うのか、明確な理由があれば教えてもらいたい。

 登山が文化的に生きる権利として認められているヨーロッパアルプスなどでは、登山者をトレーニングする公的な機関とプログラムがあり、厳しい山に登る際には事前に登山者の力量や装備のチェックが入念になされるシステムもある。また、いざ遭難となれば救助隊がヘリで直ちに急行する体制も公的に確立されている。山岳遭難事故が起きるたび、全マスコミを挙げてことさらに自己責任を言い募る我がニッポンの風潮には、本来国などが果たすべき責務を免罪する意図が隠されているように思われてならないのだ。


冬の八ヶ岳 弥次郎&喜多

八ヶ岳登山報告です。
喜多には、初の雪山登山です。
なので、雪山初心者コースです。
縦走は厳しいので無理です。
 

朝7時50分、美濃戸口に車を停めて歩き始めます。
出だしからアイゼンが必要なアイスバーン
テクテク林道を歩いて1時間、美濃戸山荘に到着。
ここから本格的に登山道になります。
    
北沢の登山道に進路を取り、我慢の2時間。

赤岳鉱泉に到着して、山小屋に荷物を置いて、空荷で硫黄岳を目指します。

山頂まであとちょっとと言うところで、弥次郎がギブアップ。
時間も押していたので、視界が開けた赤岩の頭辺りで
写真を撮って下山しました。


赤矢印が赤岳


立派な樹氷

赤岳鉱泉の夕食は贅沢でした。
ステーキを自分で焼い食べる、平地の旅館風のスタイル。
びっくりです。

夜はぐっすり眠ることができ、
明朝は体調万全で歩き始める事ができました。


2日目は、行者小屋まで45分の峠越え。
ここで荷物をデポして、空荷で赤岳を目指します。
空は快晴、絶好の登山日和。


山頂から舞い上がる雪煙
上空は風がきつい様です

赤岳へはまず地蔵尾根を登ります。
かなりの急勾配、アイゼンをしっかり雪に蹴り上げて足場を確保し、
ピッケルもしっかり打ち付けて、慎重に登ります。

稜線に出る前から風がきつくなり始めます。
山頂まであと少し。


赤岳展望荘からの登り


風に煽られて踏み外さない様に、慎重に登ります。
45分で山頂到着。


いえぇ〜〜い


昨日登れなかった硫黄岳を眺める


遠く富士山もくっきり

山頂をしっかり楽しんだ後、文三郎尾根を降ります。
下りは登りよりも慎重に降ります。


下山途中で見下ろす行者小屋
赤矢印が登りで使った地蔵尾根への道
青矢印が下りで進む文三郎尾根からの道


無事に行者小屋まで下山して、ホッと一息。
昨日、今日登った山々を見渡します。


行者小屋から横岳を見上げると、
厳しいコースを登る2人のクライマーの姿が見えます
彼らはザイルと確保器を使って登っているのでしょう。


さっきまでいた赤岳の山頂があんなに遠く…


名残惜しいので、行者小屋で山々を眺めながら、
30分ほど暖かい飲み物を飲んだりしてから帰路に付きました。

行者小屋からは南沢を下って、美濃戸まで下りました。


お疲れさま…

孝子峠から加太へ和泉山脈最西端をゆく  by弥次郎

 11月23日(祝) 朝早く起きてみると、予報に反し快晴の青空が広がっている。これは家でじっとしていてはもったいないということで、そそくさとデイバックに水筒や雨具などを詰め南海本線和歌山市駅から各駅停車で孝子駅へ。8時20分、無人の孝子駅を後に歩き始める。中孝子の集落から林道に入るところが少しわかりにくい。NPOが整備している「孝子の森」を過ぎれば尾根に上がって展望が開けるが、道はイノシシにしっかり掘り返されて耕耘した畑みたいで歩きにくい。9時10分に八王子峠着。





そこから、いったんだらだらと下っていくと、懐かしいたたずまいの東畑の集落に出る。振り返ると島精機の風車が見えた。


東畑の集落の入り口にあった六地蔵


東畑からはしばらくは、テレビの中継アンテナをめざしての単調な車道の登り。途中でアンテナに至るアプローチに入り、僅かの登りでこの日最初のピーク甲山に10時20分着。山頂には小さな椅子が置いてあり、住友金属和歌山製鉄所を見下ろす景観が中々豪快だ。


さて、ここからガイドブックではNHKTVのアンテナの脇を降りるとあったが、これは少し戻って登った関西TVの間違いで探すのに少し手間取った。気持ちの良さそうな道を機嫌良く降りてまた車道になり、西畑の集落を過ぎてから左へ、標識に導かれて田んぼに沿った山道に入り、暫く登ると葛城二十八宿の第二地であった二の宿跡。木立の中に小さな経塚が残っているが、周囲はさながらイノシシの運動場だった。

 そこからさらに登ると紀州製炭の炭焼き場を通ってまた車道に出る。ガイドでは、その車道を右にそれて尾根道に出るとあるので、かなり歩いた末、モルタルを吹き付けた右斜面にちょうど鉄ハシゴがあったので、これかと登ってみたら山道らしいのがあった。そこで、やった!と思って歩き出すと、送電線の鉄塔があり、そこから道は崖のような急斜面となっており、木の枝をつかみながら下り落ちて、少し平らな森を抜けると、のんびりした田んぼの端に出た。その向こうに見える舗装道に向かって山道を歩いていくと接続部に標識。うんうんと思って舗装道を歩き出してから、あれ??? あの標識、なんか見覚えが… と思って慌てて戻ったら、さっき導かれて山道に入った標識だった。まさか、雪山でもないところでリンクワンデルング(環状彷徨)をするとは思ってもいなかった。(^^;)
 あわてて崖の道を泥まみれになって登り返し、情けない気持ちでいたら涙雨も落ちてきた。カッパを装着し鉄バシゴを下っていると、下から子どもの声。傘を差して散歩の四人家族が居て、男の子がこちらを見上げて「何かあるん?」と尋ねるので、「何もない、迷っただけじゃ、危ないから登ったらあかんで」と答えておいた。これで1時間弱のロス。降りしきる雨の中を歩き続けると、加太森林公園の入り口に出て、そこにめざす四国山への標識があった。だったら、ガイドにそう書いとけよ。そこから僅かに急坂を登って四国山には12時30分着。壊れかけた展望台があるので、そこで雨宿りをして昼食を取り、13時発。

(写真は四国山山頂からの展望。雨模様だったが友が島がくっきりと望める。手前の広大な空き地は関空島用の土取り跡地、県財政を日々圧迫する巨大なお荷物だ)


四国山からは良く整備された快適な登山道だ。13時30分、この日の最高標高点…といってもわずか284.5mに過ぎないが、長大な和泉山脈西端の山、高森山に着いた。まずはやれやれである。


高森山からの展望、下に見えるのは大川の集落。海の向こうは淡路島。写真の方向ではないが、四国も薄墨のように海上に浮かんで見える。








 そこから大川辻へ下る道はかつての陸軍の軍用道路だったらしい。この辺り一帯は、友ヶ島も含め基地跡が沢山残っている。紀伊水道に侵入する敵艦を迎撃する要塞地帯だったわけだ。大川辻から深山へは急斜面をロープにすがり登ってひとつ尾根を越え、だらだらと下っていく。深山バス停着は14時25分、が、あてにしていたようなしていなかったようなバスは1日に10時台の1本しかなく、予想したとおり加太駅まであと2kmをぶらぶら歩いて行くことになった。加太駅着は15時5分。好都合なことに、駅前に小さな土産物屋があったのでビールを調達し、初志貫徹を1人で祝って、ローカル色豊かな加太線に30年ぶりに乗って和歌山市駅に帰り着いた。