孝子峠から加太へ和泉山脈最西端をゆく  by弥次郎

 11月23日(祝) 朝早く起きてみると、予報に反し快晴の青空が広がっている。これは家でじっとしていてはもったいないということで、そそくさとデイバックに水筒や雨具などを詰め南海本線和歌山市駅から各駅停車で孝子駅へ。8時20分、無人の孝子駅を後に歩き始める。中孝子の集落から林道に入るところが少しわかりにくい。NPOが整備している「孝子の森」を過ぎれば尾根に上がって展望が開けるが、道はイノシシにしっかり掘り返されて耕耘した畑みたいで歩きにくい。9時10分に八王子峠着。





そこから、いったんだらだらと下っていくと、懐かしいたたずまいの東畑の集落に出る。振り返ると島精機の風車が見えた。


東畑の集落の入り口にあった六地蔵


東畑からはしばらくは、テレビの中継アンテナをめざしての単調な車道の登り。途中でアンテナに至るアプローチに入り、僅かの登りでこの日最初のピーク甲山に10時20分着。山頂には小さな椅子が置いてあり、住友金属和歌山製鉄所を見下ろす景観が中々豪快だ。


さて、ここからガイドブックではNHKTVのアンテナの脇を降りるとあったが、これは少し戻って登った関西TVの間違いで探すのに少し手間取った。気持ちの良さそうな道を機嫌良く降りてまた車道になり、西畑の集落を過ぎてから左へ、標識に導かれて田んぼに沿った山道に入り、暫く登ると葛城二十八宿の第二地であった二の宿跡。木立の中に小さな経塚が残っているが、周囲はさながらイノシシの運動場だった。

 そこからさらに登ると紀州製炭の炭焼き場を通ってまた車道に出る。ガイドでは、その車道を右にそれて尾根道に出るとあるので、かなり歩いた末、モルタルを吹き付けた右斜面にちょうど鉄ハシゴがあったので、これかと登ってみたら山道らしいのがあった。そこで、やった!と思って歩き出すと、送電線の鉄塔があり、そこから道は崖のような急斜面となっており、木の枝をつかみながら下り落ちて、少し平らな森を抜けると、のんびりした田んぼの端に出た。その向こうに見える舗装道に向かって山道を歩いていくと接続部に標識。うんうんと思って舗装道を歩き出してから、あれ??? あの標識、なんか見覚えが… と思って慌てて戻ったら、さっき導かれて山道に入った標識だった。まさか、雪山でもないところでリンクワンデルング(環状彷徨)をするとは思ってもいなかった。(^^;)
 あわてて崖の道を泥まみれになって登り返し、情けない気持ちでいたら涙雨も落ちてきた。カッパを装着し鉄バシゴを下っていると、下から子どもの声。傘を差して散歩の四人家族が居て、男の子がこちらを見上げて「何かあるん?」と尋ねるので、「何もない、迷っただけじゃ、危ないから登ったらあかんで」と答えておいた。これで1時間弱のロス。降りしきる雨の中を歩き続けると、加太森林公園の入り口に出て、そこにめざす四国山への標識があった。だったら、ガイドにそう書いとけよ。そこから僅かに急坂を登って四国山には12時30分着。壊れかけた展望台があるので、そこで雨宿りをして昼食を取り、13時発。

(写真は四国山山頂からの展望。雨模様だったが友が島がくっきりと望める。手前の広大な空き地は関空島用の土取り跡地、県財政を日々圧迫する巨大なお荷物だ)


四国山からは良く整備された快適な登山道だ。13時30分、この日の最高標高点…といってもわずか284.5mに過ぎないが、長大な和泉山脈西端の山、高森山に着いた。まずはやれやれである。


高森山からの展望、下に見えるのは大川の集落。海の向こうは淡路島。写真の方向ではないが、四国も薄墨のように海上に浮かんで見える。








 そこから大川辻へ下る道はかつての陸軍の軍用道路だったらしい。この辺り一帯は、友ヶ島も含め基地跡が沢山残っている。紀伊水道に侵入する敵艦を迎撃する要塞地帯だったわけだ。大川辻から深山へは急斜面をロープにすがり登ってひとつ尾根を越え、だらだらと下っていく。深山バス停着は14時25分、が、あてにしていたようなしていなかったようなバスは1日に10時台の1本しかなく、予想したとおり加太駅まであと2kmをぶらぶら歩いて行くことになった。加太駅着は15時5分。好都合なことに、駅前に小さな土産物屋があったのでビールを調達し、初志貫徹を1人で祝って、ローカル色豊かな加太線に30年ぶりに乗って和歌山市駅に帰り着いた。